2016年度 第52回 受賞作品
RKB毎日放送賞
込められた思い
北九州市 熊西中学校2年三砂 栞奈
私は、手紙のことを『送り主のぬくもりを感じることができる贈り物』だと思っています。そう思うようになったきっかけは、部活動での三年生の引退試合後の出来事です。
私は、中学校に入学してからの二年間、ある先輩に支えてもらいました。その人は、部活動のキャプテンです。キャプテンには、練習中だけでなく、学校生活全般でお世話になりました。もちろん部活動でも、しっかり女子バスケットボール部をまとめられる憧れの先輩です。
三年生の引退試合が始まる前。私達二年生は三年生の先輩達に、『頑張ってください』という気持ちをつづった手紙を渡しました。なぜ手紙にしたかというと、言葉で言ってすぐに消えてしまうメッセージより、手紙に書いたことでいつまでも残り、さらにあたたかみも感じてもらえるのではないかと考えたからです。試合中の先輩達はとてもかっこよくて、“負けたくない”という気持ちが伝わってくる迫力のある試合でした。相手チームはとても強く、一進一退をくり返す攻防戦でした。この時のキャプテンは、足の故障にも関わらず、先頭に立って試合を進め、私達後輩に、
“次は君達の番だよ。頑張ってね”という思いをプレーで伝えてくれました。
試合後、主に二年生が練習の中心となった時、私の名前が書いてある封筒を、大好きで憧れているキャプテンにもらいました。その封筒の中には、アドバイスや“頑張れ”の気持ちをつづった文章が書いてあり、最後には“良い姿を見せられなくてごめんね”と、私にとって予想もしなかった言葉が書かれていました。たとえ試合では負けてしまったとしても、その試合で見せてくれた先輩の姿は、今も私の胸にはっきりと残る輝きをもっていたからです。これまで先輩から聞いたことのない『ごめんね』という言葉を見たとき、思わず涙が出てきてしまいました。そして私は“先輩以上に頑張ろう”と決意することができました。だからこれから先、試合の前や悲しい時は、この手紙を読んで勇気を出そうと思っています。キャプテンは、優しく、面白く、一緒にいるだけで楽しい先輩です。きっと私の知らないところでも、多くの人の支えになっていると思います。私もいつか、そんな先輩になれたら凄いと思います。
こんな考えをもてたのも、手紙のおかげだと思っています。もし手紙をもらわなかったら、今頃私はチームの中で活躍できず、一かけらの自信ももてなかったと思います。
もしもあの時手紙をもらっていなかったら、と思うと、私は今まで、多くの手紙によって支えられてきたのかな、と考えるようになりました。ある時は友達とケンカをした時に、「ごめんね」と一言だけ書いた手紙、またある時は母からの「今までありがとう。これからも頑張ってね」の気持ちが込められていた手紙。もしもあの時あの手紙の一つ一つをもらわなかったら、今の私はいなかったかもしれません。私は、手紙のもっている力について考えさせられました。
“手紙”とは。送り主のぬくもりを感じとることができるもの。私はそう思います。最近では、ネット上での通話や会話が、気持ちを伝える手段となっており、手紙の活用が少なくなってきていると思います。実際にこれまでの私も、ネット上でのやり取りが多くなっていました。しかし私は、手紙でしか伝わらないあたたかさに気づくことができました。キャプテンからの一通の手紙をもらって。だから私は、大切なことや思いは、手紙で渡した方が良いと思います。ネットでの文章と手紙での文章がたとえ一緒だとしても、伝わってくる言葉のあたたかさは全く違うと思います。手紙は自分の手で書くからこそ、その文やイラストなどを見て、より思いが伝わりやすくなると思います。しかし手紙もネットも、送り主の思いは、受け取る人の受け取り方によっても、変わってきます。キャプテンが私に伝えたかった全ての思いを、私がきちんと受け取れているかどうかは分かりません。しかし、キャプテンが私達後輩に、“諦めるな。頑張れ”という思いを伝えたかったのだということは、確信しています。
私は、先輩からの手紙をきっかけに、手紙をもらうことの喜びを再認識しました。手紙は、言葉に込められたぬくもりを、そのまま相手に届けてくれます。自分の書いた手紙で相手が喜んでくれると、自分も、魔法にかかったくらい嬉しくなります。そして、手紙は何度も読み返すことができて、読み返すたびに、「心」を感じ、相手が届けようとした「想い」をよみがえらせてくれます。だから、これからも手紙を大切にしていきたいし、手紙をもっと多くの機会で活用していきたいです。