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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2016年度 第52回 受賞作品

RKB毎日放送賞

受け継ぐということ

岡垣町  岡垣東中学校1年石橋 大志

 「ブー、ブー、ブー。」

 ふいに携帯の音が鳴った。電話に出ると、はじめは楽しく会話をする父だったが、急に声のトーンが低くなり、

「そうか、そうか。」

と語り口がゆっくりになった。

 いやな予感。

 父の友達のお父さんが亡くなったことを知らされた。ぼくも、母も、

「エッ。」

と言ったっきり、少しだまりこんでしまった。

 それは、初めてその友達の家に遊びに行った時のことを思い出したからだった。おじさんは、満面の笑みを浮かべて、

「よく来たね。よく来たね。」

と言いながら駆け寄り、幼稚園生だったぼくの頭の大きさくらいの立派なかぼちゃをくれた。家族でぺろりと平らげるくらい、甘くてとってもおいしいかぼちゃだった。

 ぼく達は、家族そろってお参りに行った。行く途中も、車内では、口数が少なく、相手の家族のことを思うと、心が張り裂けそうだった。

 友達の家に着くと、妹さん家族が出迎えてくれた。可愛い男の子も二人いた。父の友達とは、その後も何回か会ったことはあるが、実家に来たのはあれ以来だった。

 仏壇に手を合わせて写真を見ると、ぼくは驚いた。さっきの二人の男の子の目元にそっくりだったからだ。あまりにも似ていて、ぼくが目を丸くしていたら、亡くなったおじさんの奥さんが、目を細くして、

「おじちゃんに、似ているやろ。」

と嬉しそうに言った。そして、男の子二人をじっくり見ながら、

「来る人、来る人、みんなから言われるんよ。」

と誇らしげに言った。

 ぼくは、ほっとした。奥さんが思ったより元気だったからだ。二人の男の子は、二歳と四歳で丁度ぼくが初めてここに来たころの年齢だった。ぼくの近くで、走ったり、転がったりして遊んでいる無邪気な姿を見て、心が癒された。

 その時、ふと思った。あの時、おじさんも幼かったぼくを見て、将来出会うであろうお孫さんと重なって、愛しく思ってくれたのかなぁと。

 三年前まで、祖母の病院によく見舞いに行っていた。行く度に、車イスを押して散歩したり、簡単なリハビリの体操を一緒にやったりした。祖母は、いつも笑顔でぼくを迎えてくれた。そして、帰り際には、必ず握手をしていた。その時の手のぬくもりは、今でも覚えている。とても柔らかくて、ファッとした感じだった。残念ながら、もう亡くなってしまったが、ぼくの心の中には、今でも、ずっと、ずっと生き続けている。

 だから、成長したぼくの姿を見て、きっと、

「ますますお父さんに似てきたね。」

と言って祖母は笑うだろう。そして、ぼくに

「立派に、石橋家を受け継ぐんだよ。」

と言うだろうと思った。

 あのころは、ぼくの「元気」を祖母に与えてきたが、今では、心の中の祖母から「勇気」をもらっている。

 お参りのお返しに、自分の家で育てた新米をもらった。

 それは、病を押して体調の良い時を見計らって、おじさんが籾から苗を育て、それを息子さんが田植えをして、台風や虫から守り、稲穂に実らせ、稲刈りをしてやっとお米にした、とっても、とっても貴重なお米だった。

 おじさんの思いのこもったお米を、いざ食べようとすると、もう二度と食べられないという現実から、なかなか食べるという行動に踏み出せなかった。

 しかし、おじさんもきっと、

「一番おいしい今。たくさん食べてくれ。」

と言っているに違いないと思った。

 お米を炊くと、お米の一粒、一粒が輝いていた。家族で、おじさんのことを思い出しながら、一口一口味わって食べた。

 すると、噛めば噛むほど味が出て、とびきりおいしかった。おじさんが、

「俺と息子が育てた、日本一の米だ。」

と胸を張って言っているような気がした。

「受け継ぐ」ということは、今まで先祖が培ったものを、我々が絶えないように後に続けるという大事な役目だと思う。

 だからこそ、年齢とともに、ぼくは、自分に問いかける。

「受け継ぐには、今、何が必要か。」

 そして、そこからまた何かを感じ、次へのステップへと挑戦し続けるだろう。

 おじさん、おばあちゃん。ぼくを見守っていてね。きっとだよ。

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