2024年度 第60回 受賞作品
福岡県知事賞
今を生きる私にできること
福岡市立 原北中学校3年首藤 颯南
「母様今何も言ふ事は有りません
最期の又最初の孝行に笑って征きます」
私は以前鹿児島に住んでいました。この言葉は知覧町にある知覧特攻平和会館に展示されている手紙の一部です。
特攻とは、重さ約二百五十キログラムの爆弾をつけた飛行機にパイロットが乗ったまま、敵の船に体当たりして沈没させようとする作戦のことです。パイロットは必ず戦死します。
平和会館に入ってまず目に飛び込んでくるのは、室内を取り囲むように展示してある、まだ若い特攻隊員たちの写真です。今の高校生、大学生と同じ世代や小さな子どもを持つお父さんもいたそうです。写真の下にある隊員たちの年齢を見るだけで胸が苦しくなりました。
館内にはたくさんの遺書も展示されており、恋人、友人、家族、特に母親への感謝や別れの言葉、出撃の決意が書かれていました。冒頭の手紙は、十九歳の特攻隊員が母親宛てに書いた最期の手紙です。私と少ししか年が離れていない人が書いたその気丈な文章に、ただただ驚かされました。
展示されているものの中に、とても感銘を受けた写真があります。それは、たまたま通りかかった記者が撮影したもので、五人の隊員たちが子犬を囲んで笑顔で写っている写真です。撮影した記者が「君たちはいつ出撃ですか」と聞くと、隊員たちは「明日です」と答えたそうです。全員その翌日に出撃して戦死しています。
私は衝撃を受けると同時に疑問をもちました。明日死ぬと分かっていてなぜこんなにも笑顔でいられるのだろう。この人たちは死ぬことが怖くないのだろうか──。
さらに展示見学ルートを進むと、三角兵舎という、特攻隊員たちが出撃まで過ごした宿舎を復元したものがありました。その展示に添えられた文章には、夜中にその宿舎で布団をかぶって声を殺しながら泣いている隊員もいたと書いてありました。
やはりみんな死ぬことは怖かったのです。語り部の方によると、前述の出撃前日に撮影された五人の隊員たちの写真は、自分が亡くなった後に、家族がこの写真を見ることを考えて笑顔で撮られたものでした。「なんて強い人たちなのだろう。」私ならそんな状況でとても笑顔を向けることなんてできないと思いました。
知覧特攻平和会館が出している、中高生向け事前学習資料には「当時の日本では『軍人は、国のために命をかけて尽くすことは当たり前』と教えられていました」と書いてありました。死にたくないと声をあげることも許されない時代だったのです。
それでは、今を生きる私はどうかと考えてみました。私は日常生活の中で何か言いたいことがあっても、相手との関係を壊すことが怖くて言い出せないことがよくあります。言い出さなければ一見うまくいっているように見えます。しかし、自分の中のどこかに、これでいいのだろうかという思いが残ります。ささいなことですが、今の私には言いたいことを言える勇気がありません。
この先の未来で、現在のような穏やかな生活が保証されているわけではありません。安全や平和をおびやかす事態になったときには、みんなが声をあげていかなくてはなりません。一人一人の声は小さくても、たくさんの声が集まれば世の中を変えられる時代だと思うからです。
知覧特攻平和会館を訪れて、死にたくないと声をあげることも許されずに、生きたくても生きられなかった人たちがこんなにもたくさんいた時代があったことを知りました。私は今を生かされている感謝と命の尊さを忘れずに、そして繰り返される毎日が決して当たり前ではないことを忘れずに生きていかなくてはなりません。一日一日を大切にして、これからたくさんの知識を得て自分の頭で考えられるようになりたいです。そして、堂々と自分の意見を言えるような人間になりたいと思います。
生きていれば何でもできるはずです。二度と悲しい歴史を繰り返さないように、生かされている私は、私にできることを精一杯やろうと思います。
特攻隊員たちが生きたくても生きられなかった日々を、私は生きているのですから。