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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2016年度 第52回 受賞作品

全共連福岡県本部運営委員会会長賞

伝え残すこと

北九州市  熊西中学校2年中林 祐太

 「カンカンカンカンドン…」

 黒崎の夏に、太鼓の音が鳴り響く。僕は、夏が好きだ。祭りが好きだ。黒崎が好きだ。僕は、生まれてからずっと黒崎周辺に住んでいる。黒崎には、黒崎祇園山笠や曲里の松並木など、伝統的な祭りや歴史的文化遺産がたくさん残っている。

 夏になると、いつも黒崎祇園山笠が待ち遠しくて仕方がない。僕は、この山笠に毎年参加している。黒崎祇園山笠は、七月の三・四週目の四日間、黒崎駅周辺で開催される祭りで、人形飾りがついた大きな山車を曳きながら街を練り歩く。大太鼓・小太鼓・鉦・法螺貝で構成されているお囃子は、独特のリズムで、僕をはじめ、山笠を見ている人の血を騒がせる。六月下旬から七月中旬頃まで、地域の子どもたちは、このお囃子を練習している。

 僕は今まで、この山笠に出て、いろいろな体験をしている。小さい頃は、母に連れられて、山小屋までの片道三十分の道を、弱音を吐かずに歩いた。

 三歳のとき、『黒崎四百年大祭』があった。あまり記憶にないが、その大祭のDVDを観ていると、黒崎の街がとても活気にあふれていて、楽しく感じる。

 小学生のとき、山笠が通るので、ある居酒屋の前にいた。ちょうど居酒屋のシャッターの支柱が壁に立てかけられており、その支柱が後ろから突然倒れてきて、僕の背中にあたった。初めは倒れてきてびっくりしただけだったが、法被が破れたと知って、泣きそうになった。それだけ僕にとって法被は大事な物だった。

 また、六年生のとき、太鼓競演会に出た。結果は八位だったが、競演会に出られるだけでうれしかったので、そんなに悔しいとは思わなかった。その年は鉦をたたけたので、うれしくてたまらず、忘れることのできない年になった。

 毎年、山笠の解体を見ていると、山笠が終わっていく悲しみよりも、人形を近くで見たいという気持ちの方が強く、家に帰り着いてから、山笠が終わった悲しさをいつも実感している。それほど僕は山笠が好きなのである。

 黒崎祇園山笠は、四百年以上の古い歴史をもった祭礼行事である。山笠の最も古い形とされている笹山笠を四百年以上の歳月を経ても守り伝えていることは、すごいと思う。

 また、一つの山笠についている舁き手の人数も多く、父の話によると、約三十~五十人もいるらしい。黒崎祇園山笠は八基、山笠があるので、全部を合わせると、とてつもない人数になる。一つの山笠をするのに、これだけの人が関わっているということは、それだけ山笠に魅力があることだろう。

 僕がこの山笠が好きな理由の一つに、飾りが豪華なところがある。人形の勇ましさと豪快さが飾りにあり、人形を作っている人形師さんの苦労もそこに秘められている。

 また、舁き手の勇ましさが見る人を圧倒させるところも、山笠の魅力の一つである。旧来、黒崎祇園山笠は「喧嘩山笠」といわれてきた。その豪快な動きや、「わっしょい」という気合いの入った掛け声が、「喧嘩山笠」と言われている所以だろうと、参加していると気づかされる。

 この山笠が四百年以上続いているのは、山笠が大好きで、後世に守り伝えていきたいと願っている人たちの努力が、今に受け継がれてきたのだと思う。

 山笠のような伝統的な祭りのほかに、僕の住んでいる町には、曲里の松並木がある。約六百メートルの距離に松の木がたくさん並んでいる。この松並木は江戸時代から続いているもので、現在もまだ二本の松が江戸時代から残っているらしい。この松並木を絶やさないようにと努力をし続けた地域の方々の苦労がしのばれる。

 小学生の頃、松並木の周辺で行われている『筑前黒崎宿場祭り』に行った。松並木の中で行われた『あかりまつり』では、いろいろな灯籠が置かれていて、僕の小学校で作った灯籠もそこに並べられていた。いろいろな団体の灯籠がある中で、僕たちの灯籠は一番輝いていて、感動したことを今でもはっきりと覚えている。松林の中で光る灯籠の美しさは圧巻で、松並木の不思議な力を感じた。

 夏休みのある日、僕は何気なく松並木の中を通ってみた。入り口から松並木に入った途端、自分の周りを何か神秘的なものに包まれているような感覚になった。中へ進んでいくと、その日暑かったのにもかかわらず、中はとても涼しく感じられた。さらに奥へと進んでいくと、江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気に包まれた。今の時代には感じられないような、現代の最新技術が踏み入ってはいけないような、そんな雰囲気だった。

 松並木は、時代を越えても、人々に愛されている。時代が変わっても残そうとする人々の思いがあったからこそ、今僕たちは見ることができる。山笠も同じである。

 そう考えていくと、この地球全体にあるもののすべてが、人々に愛され、残し、伝えていかなければならないという人々の強い思いがあったからこそ、今この世に残っているような気がしてくる。

 この「伝え残す」というキーワードを、僕もこれからの人生の中で大切にしていきたい。

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