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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2016年度 第52回 受賞作品

全共連福岡県本部運営委員会会長賞

三千九百四十一ページ

大野城市  大利小学校6年中山 ゆりの

 晴れやかに二〇一七年の年が明けた。しかし、私の日記の日付は二〇一六年の十二月のまま。はーっと深いため息をついた。三日、五日…と過ぎ、カレンダーを見る私の気持ちは、ずんと重くなる。日記をついついためてしまうのは、私の悪いくせで悩みの種なのだ。

 同じ事をくり返す度に、

「日記は毎日やらないと意味がないよ。」

母のお決まりの小言が耳に痛い。

「分かってるって!」

私は、つっけんどんに言い返す。そんな事ぐらい私も分かっている。なんでためてしまうんだろう。

 本だなにふと目をやると、きれいにノートが並んでいる。その中の一冊を手にとって開いてみた。そこには誤字だつ字だらけのたった百文字にも満たない文章が書かれていた。まだ小さかった私が、一生けん命書いたものだ。

 楽しい習い事のこと、つまらなかった休日のことなど、決して特別ではないささいな日常がつづられていた。すっかり忘れていたことなのに、あのころの私が鮮やかに目に浮かんでくる。引っこしでこわされる家を、かわいそうだと思っていた私。とてもかわいくて、何だかふわっと優しい気持ちに包まれ、思わず笑みがこぼれる。つい夢中になり時間を忘れて次々とページをめくっていった。

 私が日記を始めたのは、ようち園の年中の時だ。きっかけはようち園から出された宿題だった。絵日記からスタートしたこの日々の積み重ねが、今ではノートが七十五冊、ページにするとなんと三千九百四十ページにもなる。最初は暗号のような絵日記だった。もちろんなかなか書けなくて泣いた日もあった。それでも始めたころの私は、毎日きちんと書いていたそうだ。どの一冊も私の大事な思い出のノートだ。

 今では文章の量も内容も格段に変わった。数日ためても平気で書けてしまうほどだ。ついついためてしまうくせに、やっぱり書かないと、すーっと何か物足りない感じがする。日記は単なる記録ではなく、三千九百四十歩の私の足あと。いつの間にか、なくてはならない存在であることに気づいた。

 あのころの私は、こんなふうに読み返すことがあるなんて思いもしなかっただろう。もしかするとこれから先、今日のように読み返し、今日の私を思い出して笑っているのかもしれない。それを想像するととても不思議で、さっきまでのゆううつな気持ちはどこかにうすれていた。清々しい気持ちで小さいころのノートを閉じた。

「毎日やることに意味がある」

母に小言を並べられなくても、その日の私を一つ一つ大切に残していこうと、私は三千九百四十一ページ目を開いた。

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