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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2017年度 第53回 受賞作品

福岡県知事賞

魔物

久留米市立  田主丸中学校2年坂本 真斗香

 「もっと腰落として。」

 私は、日本舞踊のおけいこに来ている。そして、祖母であり、私の先生でもある師匠から注意された。ちなみに「腰を落とす」とは専門用語で「膝を曲げる」という意味である。

 人は、人生の中で何回舞台に上がるだろうか。私は物心ついた時から、年に三回ほど発表会があったので、五十回ぐらいだ。そのため、緊張したことや失敗したこともある程度は経験し、自分の財産になっていると思う。だが、何度舞台に上がっても、緊張もするし振りを忘れるのではないかという怖さも感じる。だから、私は何度も何度も練習する。一曲五分の曲を何時間、何日もかけて練習する。その集大成がお客さんから見える景色であり、自分の達成感につながると私は思っている。

 私は餅踏みの時から扇と触れ合い、先生の舞台を見て感動し、日本舞踊を始めた。三歳で初舞台を経験し、十一年になる。

 そして、今日は発表会へ向けての最終リハーサルの日。今回の発表会は古典の「藤娘」、美空ひばりさんの「愛燦燦」の二曲を踊る。今は五月の頭なので藤枝を持って踊る「藤娘」がぴったりだ。私はいつものように歌詞をノートに書いた。先生に言われたことを書き留めるためのノートだ。

 おけいこが始まると、まず先生の椅子に向かい合わせに座らされた。

「あのね、舞台には魔物が住んどって、いつイタズラされるか分からんけん。舞台に上がる時は必ず一礼してから上がらんといかんけんね。」

と言って最後に、

「恥ずかしいけん、これはノートに書かんでよか。はい。始めよう。」

 恥ずかしそうに笑いながら先生は鏡の前に立たれた。私はその時、その言葉が引っかかり、魔物は真剣に向き合っていない人にイタズラすると考えた。思い返してみると、五歳の発表会で踊っている最中に思い切り転んだ記憶がある。もしかしたら舞台に上がるということは何なのか、教えるために魔物がいるのではないかと思った。そのことをノートに書き留めて、それから最後のリハーサルに挑んだ。

 その日の夜、私は祖母のベッドで一緒にテレビを見ていた。すると、祖母は突然

「今度の発表会は、今までと違う舞をお客さんにお見せしなさい。」

と、他人事のように私の頭を撫でながら言った。そのとき私は、「絶対に成長した姿を先生にお見せする」と心に誓った。

 いよいよ、本番の日がやって来た。化粧を終えて舞台袖で出番を待っているとき、ディレクターさんから、

「いつもきれいに踊ってくれるけん、ライト、当て易いばい。」

と言われ、いつも以上に頑張ろうという気持ちになった。そして、祖父の遺影に挨拶を済ませ、舞台に足を踏み入れた。

 無事に一曲目が終わり、二曲目の「愛燦燦」の曲がかかった。歌詞の意味を考えながら踊った。すると、切ない歌詞の時は悲しくなり、明るい歌詞の時は自然と笑顔になって、目の前のお客さんにこの思いを伝えたいと強く思った。それで自分の視線をお客さんの目となるべく合わせるようにすると、こちら側とお客さん側が一体になった気がした。最後には、おばあさんとおじいさんご夫婦がハンカチを押さえ、泣きながら私の方を食い入るように見て下さっていることに気付いた。

 舞台が終わると、他の出演者の方から、

「何か引き込まれたよ。」

と言っていただき、今までとは違う成長した自分を見せることができたと思え、とても嬉しかった。

 帰っている時、あるおばあちゃんが、

「私は最近悲しいことがあったけど、あなたを見て吹っ飛んだよ。ありがとう。もっと日本舞踊が好きになったよ。」

と、私の両手を優しく包み込みながら話して下さった。

 今回の舞台では魔物はイタズラせずに私が踊っているのを静かに見守っていてくれたと思う。そして本当の舞台を少しだけ見させてくれたような気がしている。

 あれから私のおけいこや日本舞踊、舞台に対する気持ちが変わった。舞台とは、人に何かを自分の体を使って伝える場所だと思った。それを胸に、日本舞踊で私に何ができるか、これから、もっともっと努力して、私の体でいろんなことを伝えられるようになっていきたい。そうしたらきっと舞台の魔物は味方してくれるに違いないと信じたい。

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