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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2022年度 第58回 受賞作品

全共連福岡県本部運営委員会会長賞

「当たり前」じゃない日々

北九州市立  熊西中学校2年白水 愛佳

 私の祖母はいつも明るくて、おしゃべりで、優しい人だ。祖母の家に突然押しかけても、笑顔で出迎えてくれる。家に帰るときには、必ず私の好物をお土産として持たせてくれる。私はそんな祖母が大好きだ。
 一月のとある日の夕方、家に帰ると、焦った様子の母から、
「おばあちゃんが倒れた。」
と告げられた。その後のことはよく覚えていない。私たち家族は車に乗って、祖母が運ばれた病院に駆けつけた。先に到着していた祖父から、今は集中治療室にいると重々しく伝えられた。私は頭が真っ白になった。その日は不安で涙が止まらなかった。
 それから、祖母の長い闘病生活が始まった。私は休日に家族とお見舞いに行っていた。入院中でも祖母は笑顔でいて、私と家族といろんな話をした。しかし、新型コロナウイルスで面会に規制がかかった。病院の中にすら入れてもらえない日もあった。それでも会える日は必ず会いに行った。祖母の病室に駆け込み、
「おばあちゃん、おはよう。」
と呼びかけると、
「愛佳、来てたの。」
と笑顔で答えてくれた。その日は楽しくて、時間が過ぎるのが早く感じた。同じ病室の人がどうだの、病院食の味がどうだのと言いながらも、祖母は病を患っているとは思えないほど明るく振る舞っていた。実はその日の前日、私は英検合格の知らせを受けたばかりだった。さっそく、祖母に、
「合格したよ。」
と伝えると、その日一番の笑顔で、
「やったね!おめでとう。」
と、まるで自分のことのように喜んでくれた。その後ハイタッチを交わして、二人で時間の限り話した。
 ますます新型コロナウイルスが流行り、祖母に会えることは滅多になくなった。ある日、母から週末に祖母が一時帰宅できると伝えられた。私はとても嬉しかった。久しぶりに会う祖母と、どんな話をしようかわくわくしていた。
 週末、祖母が帰ってきた。しかし、私は長らく会っていなかった祖母の姿に動揺してしまった。悪い意味でだ。私の知らない間に祖母の病は進行していた。祖母は最後に会ったときよりずっと痩せていて、筋肉と脳の機能の衰えでまともに喋ることもできなくなっていた。元気な姿ばかり見ていた分、余計に辛かった。でも、果物を刺したフォークを口元に近づけると、そっと口に含み、咀嚼して飲み込んだ。私は母と祖母のベッドの横に座り、話そうと試みた。祖母は私が話しかけても、目線をこちらにゆっくり動かすだけだった。私はめげずに話しかけた。
「おばあちゃん。私、来月修学旅行に行くんよ。」
祖母の顔を見た。すると祖母はゆっくり口を動かした。か細い声だったが確かに私に届いた。
「そう、気をつけてね。」
私は太ももの上でスカートがシワになるくらいギュっと拳を握った。涙が込み上げてくるのをこらえて、
「うん、ありがとう。」
そう答えるのが精一杯だった。祖母が自分の意思で口を動かし、私の声に応えてくれた。祖母が入院するまでは、当たり前だったこと。病気が進行してからは、当たり前じゃなくなったこと。大好きな人の声を聞けることはこんなに嬉しいことなんだと思った。もっと声が聞きたかった。しかし、祖母は疲れていたのかその後眠ってしまった。祖母と言葉を交わしたのはこれが最後だった。
 祖母の病は悪化していく一方だった。最後にお見舞いに行った時、祖母はベッドの上で、目も開けず、横たわっていた。静かな病室に、心電図の音と、私のすすり泣きの声だけが響いていた。
 その年の九月、祖母は安らかに天国へ旅立った。お別れの時、悲しくて、涙が止まらなかった。棺の中で眠る祖母の顔を見て、もしかしたら目を覚ますんじゃないかと考えたりもした。まだ話したいことは山ほどあった。今は写真の中でしか会えないけれど、大切な人との時間は限られていると教えてくれた祖母。大好きな人の声が聞けることは幸せだと気づかせてくれた祖母。私も友達や家族との「当たり前」じゃない日々を、一日一日悔いのないように生きたい。

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