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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2021年度 第57回 受賞作品

西日本新聞社賞

一生懸命

久留米市立  田主丸中学校3年権藤 あずさ

 「ピー。」
その笛の音は自分が思っていたよりも響かなかった。最後にきくその音はもっと特別にきこえると思っていた。しかし、笛はいつもと同じように鳴り、それにつられて私もいつもと同じようにあいさつをしていた。
 私がバレーボールを始めたのは幼稚園の年長さんのときである。母がやっているママさんバレーを見て「私もバレーがしたい」と思ったのがきっかけで体験に行くとその思いはますます強くなった。初めは週に三回ある練習に一回だけ参加した。一生懸命頑張った。どんどん上達していくと、週に一回しか行けないのがくやしくて、さびしくて、さらに練習を頑張るようになった。しかし、一年生、二年生と学年が上がっていくといろいろな考えをもつようになり、「バレーがしたい」という気持ちはうすれていった。きついことがあるとすぐにあきらめ、いやなことがあると大人に反抗した。高学年になるとさらにひどくなり、練習中に逃げだした。仲間に暴言を吐いた。こんな私が変われたのはある人に出会ったからである。
 中学生になって私はバレーボール部に入部した。小学生のバレーボールとは全く違って、初めて見たときはうすれていたあの気持ちを、木の棒でずんとつつかれたような気がした。実際に一緒にプレーしたときは先輩たちの熱意に圧倒され自分のちっぽけさを感じた。中学生の練習は入部したての私にとってはとてもきつくすぐにやめたいと思った。でも、あのときつつかれた気持ちが引っかかって言いだすことはできなかった。こんな不安定な心だった私だが、一つだけ決めていたことがある。それは「何事も一生懸命する」ことだ。どんなにやめたくても、きつくても一生懸命する。これを教えてくれたのは顧問の先生だった。先生はバレーボールが大好きで、バレーボールを通してさまざまなことを教えてくれた。きついときは仲間ではげまし合ってきつさも楽しむこと。自分中心ではなく仲間中心で考えて行動すること。役割をしっかり果たすこと。時間と物と仲間を大切にすること。など三年間でいろいろなことを学んだ。そんな先生の姿を見て私はやめたいと思いながらも一生懸命することを決めた。毎日一生懸命ボールを追いかけ、声を出した。毎日毎日くり返していくうちにだんだんできることが増えていき、バレーボールを始めたあのころの気持ちを思い出した。「一生懸命するのは楽しい」ということを思い出した。練習のきつさは変わらないけど私の気持ちは変わった。だから私はバレーボールを続けた。
 私が一年生のときの中体連。会場はたくさんの人で埋めつくされ、ライブ会場にいるかのようだった。初めての感覚で緊張が高まった。勝てば県大会、負けたら終わりという状況が続いた。恐怖心もあったが、それよりも「ボールを拾いたい、落としたくない」という気持ちの方が強かった。三年生にとって、最後の笛が鳴った。全ての終わりを告げるかのように大きく鳴り響いた。三年生はみんな泣きくずれ先生の話をまともにきけなかったことを覚えている。後悔を口にする人もいた。最後の試合の最後の笛は三年生の気持ちを代弁して鳴り響いたのだと思った。
 私は三年生になった。あのとき行けなかった県大会という舞台に私は立っていた。あの頃のようにたくさんの人が会場に入ることはできなかったが、たくさんの人の応援で会場は埋めつくされていた。私たちの目標は九州大会に行くこと。高い目標ではあったがこの目標に向かってみんなで一生懸命練習してきた。緊張よりも楽しみのほうが大きく、元気よく始めのあいさつをした。得点が決まるたびにうれしくなって全力で喜んだ。負けそうなときは必死にボールをつないだ。
「ピー。」
試合終了の笛が鳴った。試合が終わった。中学校で一生懸命取り組んだバレーボールが終わった。しかし、涙は出なかった。顔はりんとしていた。仲間の顔を見ると少しさびしくなったが、達成感に包まれていた。
 最後の試合の最後の笛の音はいつもと同じように鳴り響いた。バレーボールを始めて約十年、山あり谷ありの人生の中で先生に出会い、一生懸命練習し、一生懸命楽しんだ私は今、力強く生きている。

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