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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2021年度 第57回 受賞作品

西日本新聞社賞

感謝するということ

飯塚市立  庄内中学校2年稲田 彩希

 「人に感謝の気持ちを忘れてはならない」
私は、家族からずっとこの言葉を言われて育ってきました。だから私は、感謝するということを大切にしながら、生きてきました。しかし、そんなに感謝の言葉ばかり言われても、迷惑な人もいるだろうと思い、感謝することがおろそかになっている時もありました。今から話す二つの話、そして一つの体験をしたことで、感謝がどれだけ大切かが分かりました。
 一つは、私の父の話です。父は陸上自衛隊で仕事をしています。震災のときや、国に何かあったときはいつも「いってきます」とだけ言って家を出ていきます。いつ、何が起こってもおかしくないところへ行き、たくさんの人の救助する父は、お風呂にも入れず、ご飯も少ししか食べられず、ひげがたくさん生えた状態で帰ってきたこともあります。そんな父は、私の憧れでもあります。数年前、父は大切な仕事があると言って、半年間、南アフリカのスーダンというところへ行きました。その仕事は、でこぼこになっている道をきれいにし、道路を作るという仕事でした。南アフリカに行くまでは何とも思っていませんでしたが、いざ父が出発したとき、半年間も会えないと考えると、正直不安になることもありました。やっと父が帰って来る日になり、私は帰ってきた父の姿を見て驚きました。虫にさされたたくさんの跡や、作業中にできた傷跡などがありました。そんな姿を見て、私はとても心が痛くなりましたが、父は笑顔で半年間のことを話してくれました。アフリカの方々の話、食べ物の話など、いろいろな話を聞きました。その中で父が一番嬉しそうに話をしてくれたのは、アフリカの方々に心から感謝されたということでした。感謝される喜び、幸せを教えてくれたのは父、そしてアフリカの方々でした。父は十年前の東日本大震災、五年前の熊本地震のときも、現場にかけつけました。いつ何が起こるか分からないところへ行く父に、「いってらっしゃい」と、私は素直に言えませんでした。しかし、テレビで救助を行う自衛隊や消防隊の方々を見て、全国民は助け合いながら生きているのだなと感じさせられました。
 二つは、母の話です。私の母は看護師と病児保育士の二つの顔をもって、仕事をしています。看護師として働いて、十年以上が経ちます。そんな母は、今までたくさんの病気の方、大きなケガをした方をみてきました。当たり前のように仕事をしているとき、医療従事者、世界全体の方々の人生を大きく変えるような壁にぶちあたりました。その新型コロナウイルスがあることで、何かと理由をつけて差別される医療従事者の方をみるのも、そんな話を聞くのもつらかったです。ワクチン接種もはじまり、医療従事者の方々は限界でした。母もその一人です。私は一度だけ母に聞いたことがあります。
「つらくないの」
と。母はこう答えました。
「つらいよ。でもたった一言『ありがとう』と患者さんに言われるだけで頑張ろうと思えるよ」
母の言葉を聞いて、私は、感謝は人にやる気や元気を与える最高の言葉なのかもしれないと感じました。二つ目の顔、病児保育士としては、かぜをひいた子などのお世話をする仕事です。一日一緒に過ごし、帰り際に、「ありがとう」とかわいらしい声で言ってくれる子たちが、たまらなくかわいいそうです。誰に言われても嬉しいし、笑顔を与える言葉だと教えてくれたのは、二つの顔をもつカッコイイ母です。
 三つは、私が実際に経験した話です。私は、今マネージャーとして、部活動をしています。最初の頃は何もかもが嫌で、つらい日々が続いていました。しかし、一つだけ嬉しいことがありました。それは、部員のみんなに感謝し、感謝されることです。たった一つ何かをしただけで、「マネージャーありがと」と言ってくれるみんなの言葉と、まだ直接伝えたことはありませんが、選手が頑張って試合をする姿を見て、「最高の試合を見せてくれてありがとう」そう思わせてもらえることが、何よりも嬉しいです。今では、部員のみんなのおかげで、すべてが楽しいです。感謝することの大切さを一番身にしみて感じさせてくれたのは、部員のみんなです。
 たった一言の「ありがとう」という言葉は、簡単そうにみえて、当たり前だからこそ難しいです。しかし、私は感謝されること、そして感謝することの喜びを知っているからこそできるのかもしれません。毎日ご飯が食べられること、毎日お風呂に入れること、毎日学校に行って勉強できること、会いたい人に会えることのすべてが当たり前ではありません。だから私は、ささいなことでもこの言葉を忘れません。
「ありがとう」

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