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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2020年度 第56回 受賞作品

日本農業新聞賞

曽祖母の思い

私立  久留米信愛中学校2年井手 慶子

 私は、生まれた時から両親、祖父母、曽祖父母の四世代の家族の中で育った。それが当たり前だと思っていたので、周りの友達のほとんどが核家族だと知ったときは少し驚いた。小さい頃の写真を見ていると、お正月、節分、ひな祭り、誕生日など、季節の行事やお祝い事の度に家族みんなで過ごした様子がたくさん残っていた。私は、全部覚えているわけではないが、こうした昔ながらの行事やしきたりを大切にしてきたことは、曽祖父母の存在があったからだと思う。曽祖父は、私が四才のときに亡くなったが、私は、曽祖父は月になったと信じていたので、月を見る度、いつも見守ってくれていると思って、なんとなく安心感があった。曽祖母は、その後も変わらず、私と妹の成長を温かく見守ってくれ、一緒に旅行したり、お花見をしたり、食事につれていってくれたり、たくさん楽しい時間を過ごした。
 そんな曽祖母の様子が少し変わってきたのは、二年くらい前からだった。いつもおだやかだった曽祖母が怒りっぽくなったり、同じことを何度も言うようになった。それからしばらくして、曽祖母が認知症だということが分かった。認知症は治療で進行を遅らせることはできるけど、良くなることはないということを母から聞いた。私は、それを聞いて、悲しかったが、今までと変わらず接していこうと思った。
 それからは、曽祖母が同じことを何度も聞いてきても、
「それ、さっきも聞いたよ。」
と言うのではなく、なるべく同じ答えを何度もするようにした。正直、「またか。」と思うときもあったけれど、曽祖母自身が一番不安で、色々なことが分からなくなっていくことにとまどっているのが分かったからだ。赤ちゃんは、一日一日と成長して、一つずつできることが増えていって、それをみんなが喜ぶ。でも、年を取るとできなくなることも出てくる。そして、それがいつまで続くのかも分からない。曽祖母は自分が今までと違うということは分かっているし、不安だから何度も同じことを聞いてくるのだと思った。少しでも、曽祖母が分かりやすいように、見えるところにその日のスケジュールやすることを書いたりして工夫した。
 曽祖母は、ついさっきの出来事は忘れてしまうが、昔のことはとてもよく覚えていた。戦争を体験している曽祖母は時々戦時中の話をしてくれた。その中でも私が一番心に残っているのは、学校や進学についての話だ。当時、食べ物が思うように手に入らなかったので、お弁当を持ってきていない子が何人もいたそうだ。お弁当の時間になると何人かは分からないように教室の外に出ていっていたという話をよく聞いた。
 五人きょうだいの長女だった曽祖母は本を読むのがとても好きだったそうだ。でも、妹や弟の面倒をみたり、家の手伝いをしないといけなかったりしたので本ばかり読んでいるとしかられる。だから、机の下で隠れながら読んでいたという話もよくしてくれた。勉強して進学したいという思いが強くあったにも関わらず、家庭の事情で学びたくても学ぶことができず、進学できなかったことが、とても残念そうだった。だから、私や妹には、欲しい本があれば喜んで買ってくれたし、勉強に関することは何でも応援してくれた。そして、いい結果が出ると誰よりも喜んでくれた。
 今、私は何不自由なく生活し、学校へ行き、学ぶことができている。そのことにもっと感謝しなければならないとあらためて思った。
 今年、新型コロナウイルス感染症が流行しはじめた頃から曽祖母は体調がすぐれない日が多くなり、食欲もなく、「きつい、きつい」と言うようになった。そんな曽祖母の面倒を家族でみるのは本当に大変で、母も祖母もとても疲れているようだった。
 それから、しばらくして、曽祖母が末期のがんだということが分かり、ホスピスに入ることになった。今年、曽祖母は八十八歳の米寿を迎えるので、家族と親戚みんなでお祝いをしようと計画していた時だった。みんなで集まることが大好きな曽祖母はそれを楽しみにしていた。ところが、だんだん新型コロナウイルスの感染が広がり、多人数で集まったり、県外からの移動ができなくなったりした。そのかわりに曽祖母の病室にはお花やお祝いで使うはずだった飾りをたくさん飾った。
 お見舞に行くと、見る度に曽祖母は小さくなっていた。でも、テストの結果がよかった話や学校でがんばっていることの話をすると、目を輝かせて聞いてくれた。他のどんな話よりも私や妹が色々なことを学んでいることをいちばん喜んでくれた。きっと、自分が私くらいの年頃に学びたくても学べなかったという思いがあるからだろうと思った。
「また来るね。」
と言って、握手をした。曽祖母と会ったのはそれが最後だった。
 お通夜の日、私は遺影を見ながら、曽祖母がいたからこそ、つながってきたこの命に感謝して、曽祖母の思いに応えられるように、これからも学び、そして、成長していこうと心に誓った。

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