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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2020年度 第56回 受賞作品

全共連福岡県本部運営委員会会長賞

努力の「ひかり」

久留米市立  田主丸中学校3年眞弓 結衣

  「田主丸中学校、眞弓結衣さん。」
一番、呼んでほしくない名前だった。こんなところで終わるはずじゃなかったのに。もっと上にいくつもりだったのに。目の前が真っ暗になって、何も考えられなかった。
 今年の八月、少年の主張福岡県大会が行われた。田主丸中はここ数年、出場し続け、今年は十四名中、四名が田主丸中の生徒という快挙。私は四人の中で、一番、この大会を経験してきた。「三年連続出場」何百通という応募作品から、ほんの十数名に三年間、選ばれ続けたことは、私の文章力と先生のご指導のおかげだ。でも、それで終わりではない。原稿用紙四枚半を頭にたたきこみ、表現力を最大限に発揮して、大勢の前で「話す」。ステージに原稿を持っていくことは三年間、一度もなかった。持っていきたくなかった。体一つでステージに上がり、「話す」ことは、私を成長させてくれたから。
 しかし、そんな私の三年間の大会実績は、あまり、かんばしくない。大会には六つの特別賞とその他の人に優秀賞が準備されている。特別賞の一つ、福岡県知事賞には全国大会行きの切符がついていた。
「全国大会で、私の思いを伝えたい。」
そう頑張ってきたが、一年生では、周りに圧倒され、優秀賞。二年生では、一緒に出場した一年生が県知事賞、私が優秀賞第一席。特別賞をいただいたことは、うれしかったが、一年生に負けてしまったことが悔しすぎた。二回とも、帰りの車の中で涙を流すほど、悔しかった。そして、今年。書類審査に通った私は同級生一人、二年生二人と一緒に大会に出場した。四人の中で一番、練習した自信があった。夕方、この会場を出る時には、県知事賞をもっていて、数か月後には、新幹線に乗って、東京に行くつもりだった。途中で富士山を見たりしたかった。
 でも、現実はそんなに甘くはなかった。ステージでは優秀賞受賞者から名前が呼ばれる。つまり、後から呼ばれるほど、いい賞ということになる。私の夢を叶えるためには、最後に名前を呼ばれる必要がある。でも……名前が呼ばれ、渡された賞状と盾には「優秀賞」の三文字が刻まれていた。それだけでも、辛かったのに、私以外の三人は全員、特別賞をもらった。溢れ出る悔しさをどこにぶつければ良いのか分からず、泣き続けた。せめて、三人の前では泣いてはいけないと思ったが、無理だった。私と三人が持っている賞は違う。そう思った途端、涙が溢れた。あの日、私は「どれだけ努力しても、何も変わらない。結果が全てなんだ。」と、思ってしまった。
 そんなある日、大会のことが、ある新聞の「こだま」に投稿されていた。そこには、私と県知事賞を受賞した女の子の作品について書かれていた。びっくりした。それと同時にうれしさがこみあげた。自分の発表を見て、新聞にまで、投書をしてくださった人がいたことと、私の伝えたかった、
「見えていないものが私たちにはある。」
「周りに目を配り、気を配り、見えていないものに気づくべきだ。」
ということが誰かに伝わっていたことが、本当にうれしかった。
 私の悔しさで真っ暗だった心の中に、大きな「ひかり」がさした。
 私の大会前までの「のぞみ」は、全国大会に行って、大きなホールで、一人でも多くの人に私の思いを伝えることだった。でも、投書を見て、少しだけ考えが変わった。確かに全国大会で自分の思いを伝えることには、それ相応の価値がある。しかし、県大会で自分の思いが伝えられたことや、その思いや考えを私の発表を聞いた人が、また別の人に伝えてくれることにも、同じくらい大きな価値がある。私の努力は無駄じゃない。結果が全てじゃない。見てくれる人がきっといる。
 本番の映像は学校でも流された。友達からの大きな拍手。私の努力を見てくれる人が、私の思いを聞いてくれた人が増えていく。
「見ようとしないと見えないものがある。」
私の担任の先生は、よく、そう、おっしゃる。私の発表もそうだ。「見えていないもの」が私たちには、ある。
 でも……私は気づいた。
「自分が一番、大切なものが見えてない。」
 私はあの日、自分の努力が無駄だと思ってしまった。でも、そうではなかった。私が、「見ようとしなかった。」私の努力を見てくれている人がいることを。目の前にある悔しさで、真っ暗になって、大切なものに気づかなかった。だが、投書を見て、「ひかり」がさしてから、いろんなことに気づくことができた。
 私は投書や友達からの拍手で、自分の努力を見てくれている人が必ず、いることに気づいた。
 だからこそ、私は、これから、地道にいろいろなことに向けて、努力を続けていく。勉強、部活動、人間関係……いつだって、私たちが努力するべきことは、目の前に、あるはずだ。
 そして、自分の努力を見てくれた人がいるように、私も誰かの努力を見て「ひかり」を与えられるような存在になる。
 努力の「ひかり」を。

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