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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2019年度 第55回 受賞作品

日本農業新聞賞

ねぎがもったいない

福岡市立  筥松小学校5年川内 貫太郎

 運動場と変わらないくらいの一面の広いねぎ畑。
 ぼくは、一月二日に祖母の実家のねぎ畑に行った。畑に着いた瞬間、ねぎの爽やかな香りが鼻にスーッと飛びこんで来た。それと同時に、たくさんの青々としたねぎ畑が目に飛びこんで来た。それは祖母のお兄さんが作ったねぎ畑だった。もう収かくできるほど立派なねぎなのに、十分の一位しか収かくされていなかった。
「このねぎどうすると。」
と、ぼくは祖母にたずねた。すると、
「このねぎはもう捨てることになるよ。」
と、祖母が答えた。ぼくは驚いて、
「なんで。」
と大きな声で聞き返した。
「おじいちゃんの体調が悪いから収かくできないのよ。」
と、祖母が残念そうに教えてくれた。
 今までは、おじいさんが一人でねぎを収かくして、きれいにそろえて箱につめ、青果市場に下ろしていたそうだが、年末に体調をくずしたため、収かくできなくなったらしい。また、おじいさんの子ども達は、別の仕事をしていて、ねぎ農家をつぐ人がだれもいない。そういうわけで、せっかく立派に育ったねぎが収かくされないままになっていたのだった。収かくせずに放置していたので、所々、イノシシにあらされたあとまであった。
 ぼく達は家族みんなで食べられるぐらいの量のねぎを収かくした。それでも、まだまだねぎは残っていた。
 家に帰って、祖父母と両親と弟とぼくで、ねぎの土を落として、一つ一つていねいにうす皮をむき、根っこを落としてきれいに洗った。それだけでもとても時間がかかり、大変な作業だった。ぼくはこの時、この作業を、おじいさんは一人で、この何倍ものねぎの量をしていたのかと考えると、とても大変な仕事だな、と思った。
 きれいに洗ったねぎで、ねぎしゃぶをして食べた。とても甘くて、おいしいねぎだった。こんなにおいしいねぎがあのまま捨てられて、無駄になるかと思うと、なんだか悲しい気持ちになった。だけどねぎを一生懸命に育てたおじいさんは、ぼくよりももっと悲しいだろうな、と思った。
 以前、社会の学習で、農家は六十代~八十代の人が多く、二十代~三十代の若者になるにつれて少ないと習ったことを思い出した。
 今のぼくには、おじいさんの病気を治すことや、収かくのお手伝いをすることはむずかしいが、食べ物を食べる際には農家の人の大変さを思い残さずに食べるなど、小さなことから始めようと思う。

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