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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2018年度 第54回 受賞作品

日本農業新聞賞

周りの人の助け

須恵町立  須恵東中学校3年平田 蓮太郎

 僕は小さい頃から違和感を感じていた。なぜか言葉が上手に話せない。最初の文字を何回も連発してしまったり、最初の文字が全く出なくなったりして、息苦しい。文字を無意識に伸ばしてしまう。このようになぜか上手に話せない。僕がこの謎の違和感が「吃音」という名の疾病、または障がいだと知ったのは小学三年生のことだ。
 この「吃音」が原因で、たくさんからかわれてきた。初対面の人、友達、先輩、後輩、時には大人の方からもからかわれてきた。最近もだ。お寺の方に「御手洗、借りてもいいですか?」と聞きたかったが吃音の症状がひどく、「ちゃんとしゃべれ」の一言。とても胸が痛かった。吃音の方は、学校でいじめ等の被害にあう人も少なくない。しかし、僕にはいじめ等はほとんどあったことがない。小学二年生の時、僕は転校した。そこから今までの僕の人生はとても明るかった。最初の一年つまり二年の頃は度々からかわれることもあった。しかし小学三年生となり、自分の症状は吃音ということを知った。担任の先生からクラスへ説明していただくととても理解してくれ、そこから今まで同じような形で先生が理解を広めてくれ自分のクラスで吃音という問題で壁にあたることはほとんどなくなった。周りの人の助けのおかげである程度は普通の学校生活が送れている。しかし理解が広まっていない他学年にはよくからかわれていた。本当に理不尽だと今でも思う。上手に話したくても話せないのに。そんなに話せない僕をからかうなら僕は生まれた瞬間からからかわれる存在ということだ。こんな暗闇の中をさまようような人生なんて、もう生きたくなんかないと今でも思う。しかしこんな人生でも吃音を理解してくれ、笑わせてくれたり、優しくしてくれたりする周りの人は、一筋の光だと思う。
 僕は吃音が原因で、心の中にも問題ができた。それは、自分が無意識の内に話す場面を回避することだ。例えば店での注文、初対面の人との交流等だ。心の問題、つまり精神疾患も患った。「社会不安障害」と「対人恐怖症」という精神疾患だ。本当に苦しい。これから人生で不安なことの一番近いものは、高校入学だ。さまざまな学校の生徒が集まり、認知度が低い吃音について理解のある人なんてゼロだと考えてもいいと思う。そんな人たちの中で自己紹介をしなければならない。もちろん吃音のことは告白するつもりだ。症状が重度で隠し通せるわけがない。部活動でも同様だ。しかし仮に一年生では理解が広まったとしてもクラス替えをした二年生になったときはどうだろう。部活動でも同様だ。一年生で先輩に理解されても二年生になったときに入学してくる後輩はどうだろう。さらに困るのは就職だ。つい否定的なことを考えてしまう。しかし、この吃音のおかげで出会いもたくさんあった。大切だと思える人にも出会えた。月に一回行われている吃音当事者の方々の集まりにここ数ヶ月参加するようになり、最近はとても楽しみにしている。大人の方たちばかり、目上の方への接し方の勉強にもなっており、相談にもよくのってもらっている。僕はここでも周りの人の助けをうけている。そして大切な夢もできた。その夢とは「心理カウンセラー」だ。同じように吃音に苦しむ人たち、精神疾患に苦しむ人たち、障がいに苦しむ人たち、さまざまなことで悩んでいる人たちの心に寄りそい、支え、その人たちの人生の手助けをしたい、そんな思いを強く持ちはじめた。そこで将来は心理カウンセラーになりたいと強く思いはじめた。もし僕に吃音がなかったらこんなすばらしい職業になりたいだなんて思わなかっただろう。心理カウンセラーという仕事もしながらさまざまな障がいへの理解を広める活動にも積極的に参加していきたい。
 僕は今、吃音にとても感謝している。たくさんの人に出会わせてくれてありがとう。強くなろうと思ったきっかけをくれてありがとう。人の心の痛みを教えてくれてありがとう。すてきな夢をくれてありがとう。そして今までたくさんの周りの助けを受けてきた分、心理カウンセラーの夢を叶えて、今度は僕がたくさんの人の人生を助けられるようにがんばろうと思う。これからも吃音と前向きに向きあって、吃音と共に力強く生きていこうと思う。

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