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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2018年度 第54回 受賞作品

西日本新聞社賞

ボランティア活動

飯塚市立  庄内中学校3年幸田 芽衣

 みなさんはボランティア活動をしたことがありますか。
 私はこれまでにたった二回だけですが、福岡市で活動する、ホームレスの方たちを支援する「おにぎりの会」の活動に祖母と参加したことがあります。
 人と接するのが苦手な私と違って、進んで人の輪に入っていくタイプの祖母は、私のそういう弱点を乗りこえさせようと、幼い妹の世話や仕事に追われ忙しくしている両親に代わって、人と接する機会がある所に時々私を連れて行ってくれます。その一つがおにぎりの会の活動でした。
 このNPO団体は、仕事がないために路上で生活するしかない福岡市内のホームレスの方たちを、二十年以上も支援しているそうです。祖母は、友人から会のことを聞き、数年前から活動に参加していましたが、引っ込み思案な私を少しでも積極的な方向にしようという思いで、中学一年生のある日曜日、天神地区で行われた街頭募金活動に連れていってくれたのでした。
 ただでさえ人と接するのが苦手な私ですから、忙しそうに、楽しそうに繁華街を行き来する見ず知らずの人たちに、どんなにかえりみられなくても、「募金にご協力下さい。」と声をかけ続けることは大変きついことでした。はじめは、正直に言うと、ついて来てしまったことを後悔していました。それでも祖母の声に乗っかるようにして、小さいながらも「お願いします。」の声を上げ続けていると、一人、また一人と足を止めて募金に協力してくれる人たちがいました。中には「頑張ってね。」と笑顔で声をかけてくれる方もいました。
 この日とその翌日にも行われた活動で集まった募金は、総額で十万円以上になりました。おにぎりの会の活動を支えるための大きな資金になるということを後日聞きました。
 「恥ずかしさ」という殻を少しだけ破って参加できたことを、私はうれしく思いました。
 二度目のおにぎりの会の活動の参加は昨年の秋のことです。福岡市中心部にある須崎公園という大きな公園の一角で、炊き出しが行われました。今回も祖母に促されての参加で、準備から片付けまでの数時間を、見ず知らずの方たちと協力してやっていくことは、前回以上に私にはハードルの高いことのように思えました。
 迎えた当日、四十人くらいのボランティアの中に、想像していたより多い十人程の若い人たちの姿がありました。若いと言っても、大学や専門学校などの学生さんたちのようでした。祖母に背中を押してもらって参加している私と違って、みなさんそれぞれ自分の意思で参加されている方たちなのだと思うと、とても大人びたお姉さん、お兄さんに見えました。
 初対面の挨拶を交わしながら顔を赤くしていた私でしたが、みなさんの頼もしい姿に接することで、自分もひょっとしたらいつかこんなふうになれるのかも知れないという思いが浮かんできて、なんとなくうれしい気持ちになったことを覚えています。
 その日、祖母と私はラーメンの炊き出しを担当しました。スープが注がれたどんぶりにゆで上がった麺が入り、祖母が手際よく麺をほぐして整え私のもとに。チャーシューとネギをのせて並んでいる方に渡していく。ごつい指もあれば細い指もあり、中には祖母よりもずいぶん年長のおばあさんの姿もありました。どなたもラーメンの湯気の向こうから「ありがとう。」と声をかけてくださり、私はその温かな気持ちだけで胸がいっぱいになり、その日任された役割をきちんと果たせたように思いました。
 私は、おにぎりの会の代表の方のお話を聞くまでホームレスの暮らしをしている方たちのことを、よく理解していませんでした。仕事もしないでぶらぶらしている人たち、そのような勝手な予断と偏見があったことは確かです。
 でも、路上で暮らす方たちのほとんどは、リストラにあったり、病気やケガで働けなくなったりした方たちなのだということを知って、勝手な思い込みをもっていた自分が恥ずかしくなりました。
 そのことを知ったおかげで、きっと私は自分なりに精一杯の声を出して、皆さんを支えるための募金の呼びかけができたし、炊き出しの活動にも参加することができたのだと思います。
 さまざまな境遇、さまざまな苦しみや悩みを抱えた人々が、自分たちと同じこの社会の中で必死に生きているということ、そして、家族でもない人たちのために、無償の活動を通して手を差し伸べて、共に助け合って生きていこうとしている人たちがいることを知ったのは、とても大きな財産だと思います。まだまだ自分の殻を完全に脱ぎ捨てることができずにいる私ですが、ボランティア活動は、「いつかきっとこのきゅうくつな殻から出たい」、そんな決意の芽を私に植えつけてくれました。

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