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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2018年度 第54回 受賞作品

西日本新聞社賞

私にとっての宝物

福岡市立  玄界中学校1年長谷川 美由

 私には妹がいます。
 私と妹は歳が七つ離れていて、母や父がいないときは私がよくめんどうを見ていました。妹は、よく私の真似をします。私がワンピースを着ると、妹もワンピース。私が、髪の毛をポニーテールにしてもらうと、妹もポニーテールにしました。私は、そんな妹がかわいくて、かわいくて仕方がありませんでした。
 私が三年生になったとき、妹と普通に話せるようになり、私が、「どれがいいと思う?」と聞くと、妹は「これ!」と言って洋服を決めてもらっていました。こんな生活は私が四年生のときくらいまで続いていました。
 ところが、私が五年生になった、ある日のことです。学校が終わって友達と遊びに行こうとしたとき、
「私もついていく!」
そう、妹は言いました。きっと、今までの私なら「いいよ!いっしょに行こう!」と言っていたはずなのですが、そのときの私は、
「いやだ。ついてこんで。」
と言ってしまいました。それから、私は妹が何かさそってきても断り続けました。
 そんなある日、不思議に思った母が私にたずねてきました。
「由南が何かしたと?」
私は首をふりました。すると母が
「でも、あんた最近、一緒におらんくない?」
と聞かれました。でも私は
「気のせいじゃない?」
と答えました。私も、一緒に遊ぼうとは思うのですが、なぜだか妹と一緒にいたくないのです。
 六年生になったときには、もうそれが、自分の中ではあたりまえのようになっていました。
 私の誕生日会のときに、アイスケーキが出ました。そのアイスケーキはアイスが別々になっていて、私は自分の好きなアイスを見つけると、
「これがいい!」
と言って、そのアイスケーキを自分の方に近づけました。すると妹が
「私も、それが良かったな」
と言うので、私は
「ダメ!私の誕生日ケーキっちゃけん!」
とムキになって言いました。そしたら、妹は泣き出しました。母が
「いいやん、あんたお姉ちゃんやろ?あげとき。」
と言いました。私はしぶしぶ、そのアイスケーキを妹にゆずりました。心の中では、私の誕生日なのに、私が最初にとったのに、そんなことを思っていました。お菓子屋さんでも、私が最後の一個のお菓子を取ると、妹が「私も!」と言って私がゆずる。私がおもちゃで遊んでいても、妹が「私も!」と言うので私がゆずる。何をするときでもずっと私がゆずらなければなりませんでした。
 ある日、祖父と祖母が旅行から帰ってきてお土産選びをしたとき、とてもかわいいお人形があったので
「これ、もらってもいい?」
と祖母に聞いていると、いつものように妹がやって来て、
「私も!」
と言いました。私は、
「いやだ。」
と言います。今度は母が、
「ゆずりなさいよ。」
と困ったような顔をしながら言いました。私はムッとして今までの思いを全て言葉にして母と妹にぶつけました。
「いつも、いつも、ゆずりよるのは私やん?なのになんで責められるのも私なん?ガマンしよるのは、いっつも自分!お母さんは由南には甘いもん!それで、お姉ちゃんやろ?ガマンしなさいよって。少しくらい私のことも考えてよ!私だって、好きで、なりたくて、お姉ちゃんになったわけじゃない!由南なんか、大嫌い!」
そう言い残して自分の部屋で泣きました。自分の気持ちが言えて、すっきりして泣いているのか──。それとも、母と妹に、あんなことを言ってしまって悔しいのか──。はっきりとしない理由の涙を流し続けました。
 私は、そのまま寝ていたようで起きたときには朝でした。重い体をゆっくり起こすと、横に、三枚の紙が置いてありました。開けて見て見ると、それは妹からの手紙でした。その字はとても読みづらく、形もぐちゃぐちゃでしたが、とても思いのこもったものでした。
「お姉ちゃんへ。いつも、いつも、ごめんなさい。でも、ゆなはお姉ちゃんが大好きだから、お姉ちゃんがゆなのお姉ちゃんじゃなくなるのは嫌です。大好きだよ。」
 たくさんのハートマークがつけてありました。私は昨日泣いてすごくはれている目から、もう一度、涙を流しました。そして、走って妹のところに行きました。「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。」そう、心の中でさけびました。寝ている妹を見つけ、すぐにだきついてしまいました。起きた妹は私を見て、ホッとしたのか、うれしかったのか、もしくは両方なのかわからないけど、今まで見たことがないくらいの笑顔で、
「お姉ちゃん大好き。」
と言いました。私は、その笑顔を見て、こう言いました。
「由南は私にとっての宝物。」

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