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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2017年度 第53回 受賞作品

日本農業新聞賞

新しい家族

福岡市立  野芥小学校6年柿木原 稟

「お母さぁん。」

玄関の外から兄の泣きさけぶような声がした。何かとんでもない事が起こっているのだけは分かった。家族全員が玄関に走って来た。

 そこには、車にひかれたとしか思えない迷い猫の小判がいた。左目が飛び出し、割れたあごから血が流れて、最後の力をふりしぼって必死に鳴いていた。

「稟、バスタオル。」

母がさけんだ。あわててバスタオルを取りに行くと、母は小判をそっと包んで抱きあげた。いつの間にか父が車を持って来ていた。四人と一匹で車に乗り込み、動物の急患センターに向かった。車の中に、小判を抱いたまま兄が泣きさけぶ声がひびいていた。

 急患センターに着くと兄と私は待合室に出された。私達二人は泣くしかなくて、何時間経ったのかも分からなかった。

 朝まで待っても、大丈夫とは言ってもらえず、先生たちが辛そうな顔で見送るので、もうだめなんだと思った。

 いつも行く動物病院に入院することになった。約三週間毎日会いに行った。少しずつ元気が出ているように思えた。

 その間いろんな事を思い出した。

 初めて小判と会ったのは、二ヶ月位前で、小判のかざりの付いた首輪をした迷い猫で、なぜか私の家の玄関を気に入り自分の第二の家だと決めたように見えた。ふらっといなくなったり、また戻って来たり、自由に過ごしていた。迷い猫のお知らせを出したり、保健所に届けを出したりたくさんの動物病院にお願いをして、飼い主を探したけど、見つからなかった。その内首輪のかざりからみんなが小判と呼ぶようになった。

 私はどうしても三匹目の猫として家の中で飼いたかったけど両親に、

「本当の自分の家に帰れなくなったらかわいそうだからダメ。」

と言われて、玄関の外にクッションや風よけで家を作ってあげた。それでも小判は家に帰らなかった。

「うちの近所には車にひかれたあとがないから遠くでひかれて最後の力をふりしぼって我が家に戻って来たんだよ。もうこの子はうちが自分の家だと思ってるんだよ。この子はもううちの子だ。」

 その母の一言で小判は家の猫になった。

 脳に障害が残りお世話は必要だけど、今は私の部屋で元気に暮らしている。甘えん坊で私がいないと、必死に私を探す可愛い末っ子だ。

 我が家の猫は三匹とも死にかけているのを助けた子達だ。最後の最後まで責任を持って守らなければならない大切な命だ。

 うちを選んでくれてありがとう。

 大事にするからね。

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