2022年度 第58回 受賞作品
RKB毎日放送賞
私の、妹
私立 久留米信愛中学校2年古賀 柚稀
これは私と妹の話。
毎朝六時に自然と目が覚める。アラームの代わりに雀が鳴く。顔を洗いドアを開く。ふわりと香る美味しそうな匂い。一番朝早くに起きて弁当を作ってくれる母。
「おはよう。」
と言えば、優しい「おはよう」が返ってくる。欠伸をしながら、髪に寝癖がついたまま起きてくる弟。同じように、
「おはよう。」
と言うと、眠たいのかダルそうな「おはよう」が返ってくる。父は単身赴任中。いつもはうるさい程話しかけてくるが、それがない今は少し寂しい。
朝ご飯を食べ終え、またドアが開く音がする。妹は機嫌悪そうにドタドタ歩いて洗面所へ向かう。二人のように声をかけるが、返ってこない。私の妹は生意気だ。野菜嫌いですぐ残すし、ゲームばっかりするし、お手伝いも全然しない。注意したら逆に怒ってくる。なんなんだこの子は、と何回思ったか分からない。
でも、そんな妹にもいいところはいっぱいある。集中したら最後までやり通すところ。手が器用なところ。犬の世話をしてくれて、笑った顔が可愛いところ。こんなにたくさんあるのに何でムラがあるんだろう妹よ、と毎回思う。
だから私と妹はよく喧嘩する。普段は妹が絡んでくるのを私が無視して流したり、馬鹿馬鹿言い合ったりする。
でも一度だけ喧嘩したことをとても悔やんだことがある。
それは私が小学六年生、妹が幼稚園生のときだ。妹が私のバレーボールで使うタオルを欲しがり、私が拒否した。そのタオルは仲間とお揃いで、翌日が大会だったため渡したくなかった。すると妹は、怒り泣いて私のノートを破ったりした。私は我慢できずに思わず口から、
「大嫌い。あんたが妹とか最悪。」
という言葉が出てきてしまった。謝ろうと思ったが素直になれず部屋に戻ってしまった。
当日の朝、妹が寝坊したため開会式に遅れるところだった。試合になると上手くプレーができず、チームの雰囲気も悪くなり、結果負けた。昼食をとるために観客席へ上がると妹が「お疲れ」と言ってくれたが、昨日と朝のこともあり、「うるさい」と言ってしまった。妹は悲しそうな顔をしていた。その顔を見て、後からきちんと謝ろうと決めた。
だが、それを伝えられるのはまだ先だった。妹がケガをして入院することになったのだ。私はそれを聞いて頭が真っ白になった。妹は高い鉄棒で遊んでいたとき、手を滑らせ鼻を骨折したという。すぐに友達の母に病院へ連れていってもらった。夕日は真っ赤に輝いているのに、私には灰色に見えた。母が泣きながら出て来て現状を伝えられた。しばらく家のことを頼まれたが、私は頷くだけだった。
妹が入院してから数日経った日、母から写真が送られてきた。鼻が少し曲がり、赤黒く内出血をしていて、顔全体に濃い痣ができていた。私はそれを見て涙が出た。痛いはずなのに笑顔でピースをする妹が写っていたからだ。さらに、「ごめんね。おねえちゃん大好きだよ。すぐおうち帰るね」という音声が送られてきた。その声は渇れていた。たくさん泣いたのだろうと察した。私は妹に自分がどれだけ最低なことを言ったのか理解した。早く謝れば良かったという後悔が膨張した。
そこから私は、妹が帰ってくるまで家事をもっと手伝い、妹への手紙を書いた。
退院当日、父と弟と一緒に迎えに行った。出てきたのは疲れた顔をしている母と、濃い痣を残し、包帯を巻いたままの妹だった。後から聞いた話だが、妹は自分の顔を見て、「怖い」と泣いていたそうだ。私はその顔を見て泣きそうになるのをグッと堪えた。家に着き、妹の退院祝いとして、妹の好きなご飯をたくさん食べた。お風呂なども終わらせ、寝る前に私は妹の名前を呼んで抱きしめた。
「ごめんね、嫌いって言って。酷いこと言って。お帰り。」
と泣きながら妹に伝えた。妹は泣いている私に戸惑いながらも抱きしめ返してくれた。その時、やっと心の中の霧が晴れた気がした。
私はそのことをずっと覚えている。逆に忘れてはダメだと思っている。今でも喧嘩をする。でも必ずお互いすぐに「ごめん」と言える。この歳で喧嘩するのは自分でもどうかと思うが、自分にも譲りたくないものはある。優しく言い聞かせても歯向かってくる。やっぱり妹は生意気だ。それでも妹が大好きだ。たった一人の私の妹だ。
今日は、どんな朝になるか。足音の聞こえるドアの方を見つめる。今日は不機嫌モードかなと予想する。
「ガチャ。」
元気な「おはよう」が聞こえる。太陽と同じくらい眩しい笑顔につられ、自分の顔も思わず緩む。妹に負けないくらいの声で言おう。
「おはよう。」