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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2022年度 第58回 受賞作品

福岡県知事賞

となりの部屋にいる僕の兄

私立  中村学園三陽中学校2年谷口 真太

 「イライラする」この感情は毎日しつこく僕につきまとい、大抵は自分の部屋の中に一人でいるときにわき上がってくる。その原因の九十九パーセントは僕の兄にある。僕は兄の存在が許せない。僕は本気で兄が嫌いなのだ。嫌いな理由は数えきれないほどあるが、その一つに次のようなものがある。
 その事例を頭に浮かべると、すでにねばねばしたスライムのようなイライラが頭の隅からはい出てくる。毎日五十分ぐらいかけて登校し、放課後スイミングスクールの選手コースに通い、くたくたになって夜八時過ぎに家に帰り着くのが僕の日課だ。しかし、兄は時々、「学校に行く気が起きない。」などと言って、学校をサボる。気持ちが乗らない日は、僕にだってある。しかし、学校に通って、勉強したり部活動に汗を流したりするのが学生の宿命であるはずだ。僕は我慢と忍耐で毎日登校しているのに、兄の態度はおかしいではないか。しかも家にいるときは、ほとんど一日中部屋にこもってゲームか何かしているようだ。僕は学校に行っているので、はっきりと見たわけではない。夜中まで何かしていて、昼頃に起きてくることもあるらしい。そして、兄はたまに自分の気分が乗っているときだけ僕に話しかけてくる。
「このゲームのストーリーはすごくおもしろいぞ。」
「お前、数学わかるようになったんか。」
 こう話しかけられることがまた本当に嫌で嫌で、頭の中が真っ黒な墨で塗りつぶされていく気分になる。「僕のストレスも疲れも知らないで、自分だけの都合で話しかけてくるな!」最近は夜中にネット友達との通話が聞こえてきて、眠るときにもイライラする。そして、イライラしている自分にもイライラしてくる。それを面に出して、親に訴えてもなしのつぶてだ。親は兄に甘く、僕に厳しい。僕の方が頑張っているのに、兄の方が甘やかされる。例えば雨風が強い日でも、「真太!早く行かんと遅刻するよ。カッパ着て早く出なさい。」と僕は自転車で行かされる。一方、兄には、「車で送っていこうか。」と話しかけている。この「差」は一体何なんだ! 僕は毎日ひたすら我慢している。にもかかわらず、兄は我慢していない。我が家ではこういうことが頻繁に起きているのだ。
 ある日の夜、スイミングスクールから帰ってきて自分の部屋に入ると、珍しく隣の兄の部屋から物音が何もしてこなかった。何となく気になり、兄の部屋をそっとのぞいてみると、やはり兄の姿はなかった。こざっぱりとした兄の部屋の風景。もっとぐちゃぐちゃでゴミが散乱しているのかと想像していたが、僕の部屋よりも随分きれいだった。僕は自然と兄の部屋の中に足を踏み入れた。「この部屋の中で、兄はいつも何を考えているのだろう。」そんな思いがみぞおちのあたりからもぞもぞと頭にのぼってきた。机に目をやると、きちんと並べられてある教科書や参考書が目に入った。しかし、一冊の本だけが無造作に机の上に置かれてあった。その本の表紙には「地方公務員試験」と書かれてあった。何気なく手にとって中を開いてみると、ほとんどのページに蛍光ペンで線が引かれていたり、赤のボールペンで書き込みがされたりしてあった。「部屋で勉強しとったんかいな?」僕の頭の中の暗い闇が少しずつ薄れていく気がした。玄関が開く音が聞こえたので、本を元のようにおいて、足音を立てずに兄の部屋を出た。
 次の日の夕食時、兄がにこにこ笑いながら話しかけてきた。
「連立方程式を解く裏技教えてやろうか?」いつもなら、どろどろの煮えたぎったマグマが頭の頂点から噴出してくるところであるが、そのときは不思議とそんな気持ちにならなかった。適当に返事をしていると、兄はさっさと食事を済ませ、自分の部屋へ戻っていった。
 夕食後すぐに、僕も自分の部屋に戻りベッドの上に転がった。もちろん、隣の部屋に耳を澄ませながら。しかし、隣から物音は聞こえてこなかった。天井を見つめながら、僕は静かに自分を振り返った。僕は毎日真面目に学校に行き、欠かさずスイミングスクールに通っているが、これまで自分自身のことをどれほど真剣に考えたことがあっただろう。母に怒られたくないからする。みんながしているからする。日々行うことを淡々とこなしているだけではないか。忙しさを言い訳にして、自分にとって一番大切なことを考えようとしていないのではないか。学校を時々休み、夜中まで何をしているか分からない兄の方が、悩み苦しみながらも自分と正直に向き合っているのではないだろうか。隣の兄の部屋からはまだ物音一つしてこない。何をしているのかわからないが、勉強机に向かって必死に勉強する兄の姿がしきりに頭に浮かんできた。
 今の僕にははっきりとした将来の目標などない。しかし、今の自分にもっと真剣に向き合うことで、何かきっと見えてくるものがあるはずだ。いずれ僕も兄と同じ年齢になり、本気で将来を考えるときがやってくるだろう。そのときやっと、今の兄の本当の悩みや苦しみが分かるのかもしれない。
 明日、とりあえず、連立方程式を解く裏技を教えてもらうつもりだ。

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