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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2023年度 第59回 受賞作品

日本農業新聞賞

私も桜の木のように

私立  久留米信愛中学校2年黒田 莉央

 私の家の庭には、沢山の樹木や草花があります。それは、季節ごとにいろいろ景色をみせてくれます。いつも祖父母が手入れをしてくれているもので、わたしたち家族はその景色をみながら、四季を感じ暮らしています。そんな樹木の中にある一本の木。夏は若緑の葉でいきいきとし、秋は紅葉にその葉を染め、冬は寒さの中でつぼみの芽をそっと成長させていく。そして春になり、満開の花を咲かせ人の心を魅了する。それは桜の木です。私が生まれた年の春に、祖父母が記念樹として植えてくれたものでした。
 私は祖父母を含め、六人家族で暮らしています。いつも賑やかで、たまには喧嘩もしますが、知らぬ間にまたいつもどおりにもどっている、そんな家族です。小さい頃からずっと一緒なので、そんな家族が当たり前の中で私は育ってきました。ところが、今年の夏、我が家に大事件がおきました。祖父が新型コロナウイルスにかかってしまい、緊急入院となってしまったのです。どちらかというと、祖母の方が体が弱いので、コロナ禍になってからは、ウイルスを家に持ちこむことがないように、みんなでマスクや手洗い、外出先でもうがいをする程、わたしたちは感染に対して気を付けていました。それなのに感染してしまった祖父。いつもは家族の誰より働き者で、よくみんなを笑わせるそんな祖父が、発熱してから時間が経つごとに、だんだんと弱くなっていく姿に心配で仕方ありませんでした。看病をしていた母から、
「酸素濃度が下がっているから、今から夜間救急に連れていく。」
と言われたときには、どうすることもできず、ただただ不安でいっぱいになりました。そのまま祖父は入院することに。夜中になって、家に戻ってきた母の表情が、いつになくこわばっていたのを見て、ことの重大さを感じました。「おじいちゃんに何かあったらどうしよう。」その夜はあまり眠れませんでした。ご飯を食べるときも、ポツンと空いている祖父の席。いつもだったらついているテレビが消え、静まりかえった祖父の部屋。庭を見ても、祖父の姿はなく、外の景色はまるでグレー一色に見えました。何日もそんな日が続いて、私はただ祈ることしかできませんでした。入院から四日が過ぎた頃、
「おじいちゃんの体調が安定したよ。日曜日に退院できることになったよ。」
と母が教えてくれました。私はほっとして、力が抜けそうになったのと、嬉しくて跳び上がりたいのとで、どう表現したらいいのか分からないくらいでした。
日曜日、祖父は家に帰って来ました。
「ただいま。お腹空いたぞ。」
と、いつもの陽気な祖父を見て、思わず涙がこぼれました。
「心配したか。」
と私の頭に手をやり、微笑む祖父がなぜだか少し小さく感じてしまいました。「おじいちゃんが元気でいてくれるのは、当たり前なんかじゃないんだ。」初めてそれを気付かされた私でした。そんな祖父の退院を誰より待ちわびていたのは、もちろん祖母です。入院中毎日、「おじいちゃん、ご飯食べられたかな。」、「今日は少し眠れたかな。」、「一人で淋しくないかな。」と、常に気にかけていた祖母です。帰ってきた祖父をおかえりなさいと、迎える姿がとても優しくて、嬉しそうな祖母でした。
 そんな祖母も今年で七十歳になります。私は祖母に一番甘えて、一番わがままを言って、育ってきました。小さい頃から私にとって祖母は、「避難所」のような存在なのです。両親から叱られると、きまって祖母の所へ行き、幼い頃は抱いて慰めてもらい、今現在ではいつも私の愚痴を聞いては、慰めてくれます。十二月には、そんな祖母の古希のお祝いをみんなでしました。従兄弟家族も集まり、とても賑やかな時間で、祖母もとても嬉しそうにしていました。そんな中、祖父が祖母の生いたちムービーを作って見せてくれました。「私の知らないおばあちゃん」がそこにいました。祖父と出会った頃、仕事をしている頃、母となり子育てをしている頃。そして時は流れて、わたしたち孫と楽しそうに笑っている祖母の姿がありました。どれを見てもいつも優しい表情をしている祖母の姿を見て、私はいつもそんな祖母に見守ってきてもらったのだと感じました。そして、そのムービーの中にはあの記念樹の前で幼い私を抱き、笑顔で写る祖父母の姿もありました。満開の桜の下で祖父母に抱かれる私は、幸せそうに笑っていました。
 私は今年、祖父、祖母のこの出来事を通して、日々の尊さと有難さを考えさせられました。それまで当たり前だと思っていたものは、決して当たり前のことではないということ。そして、その当たり前の中でたくさんの愛情を受けてこられたおかげで、今の自分が存在しているということ。それを知った私は思いました。当たり前の日常でも、感謝の気持ちを言葉にして伝えよう。特別なことはできなくても、何かできることを見つけて行動できるようにしよう。二人が植えてくれた桜の木のように、どんなときでも優しく、みんなを幸せな気持ちにできる人になりたい、そう思いました。また春がやってきます。そのときに私は、祖父母に感謝の気持ちを伝えたいと思っています。「有難う」にたくさんの想いを込めて。

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