2011年度 第47回 受賞作品
全共連福岡県本部長賞
二万円の行方
久留米市 諏訪中学校3年馬場 健史
夏休みも終わりに近づいているときの話である。私が夜、塾から家に帰り、おかしを食べようと机を見ると古いノートが置いてあった。最初は気にもとめずにゲームをしていたが、三十分ほどするとなぜかノートの存在が気になり始めた。よく見ると、そのノートには、色あせた文字で「家計簿」と書いてある。見てはいけないと思いながらも、ページをめくってしまった。そのとき、私は「えっ」と無意識に声が出てしまった。私の目に映ったのは、米粒のような文字で、大根八十円、おつり千二百円など、我が家の収支がこと細かに書いてあった。普段はがさつで怒りっぽい母からは考えられない丁寧で美しい字だった。五年前から書き続けられ、ところどころセロハンテープではられている家計簿を見ていると、毎月二十六日に支出として二万円がかならず使われているのが目についた。母のことだから自分のお小遣いかなにかにしているんだと思っていた。しかし、二万円の本当の使い道を知ったとき、その考えは百八十度変わった。
数日後、私はまた机の上においてあった家計簿を母に渡しにいった。冗談のつもりで「毎月二万円、どこにいっているのかな。」と笑いながら聞いても母はなにも答えずに野菜を切っていた。その後もたびたび聞いてもなにも答えてくれない。ここまで無視されたら、二万円の行方が知りたくてしょうがない。それから私は二万円の行方を知るために、毎日のように母に聞いた。しかし返ってくる言葉はまったくなかった。そうして一ヶ月過ぎるころにはすっかり忘れていた。
ある日、私は母とけんかをしてしまった。発端は私が勉強せずにマンガを読んでいたからだ。自分の勉強に親が入ってくることに反発があったからだ。私は、「部屋に入ってくるな、邪魔だ。」と暴言を吐いて部屋を出ていった。その夜、いつもはなにも言わない父が驚くような声で、「お前は誰に暴言を吐いているんだ。お前は誰に飯を食べさせてもらってるんだ。」大きな声で少し悲しく怒ってきた。その後、父がポツンと小さな声でこう言った。「前に家計簿をみて、二万円の行方を知りたがっていただろ。あの二万円は健史の預金になっているんだぞ。それを忘れず行動しろ。」私はその話をきくと、驚きと喜び、そしてなぜか悲しみが生まれた。なぜ悲しかったのかと考えると自分でもよく分からない。きっとけんかしたとき、つい言ってしまったあの暴言や二万円の行方について母を疑っていた自分に後悔していたんだと思う。その日は父の仲介のおかげで仲直りをすることができたが、母の顔をまともに見ることができなかった。やっと気持ちが落ち着いたころ、私は思いきってなぜ二万円の行方について教えてくれなかったのか聞いてみた。そのとき母が言った言葉は、これからもけして忘れることはできないであろう。中学生の私につきささるものがあったからだ。母はこう言った。「ごめん、無駄な心配かけたくなかった。親の役目って子供を陰からサポートすることだと思うから。高校受験もあるしね。」この言葉は今まで自分の考えを完全に改めさせられた。親はなにもしてくれないしうるさい。自分一人で充分だ。そんな考えはまちがいだと気づかされた。私達中学生の中には一人で生きているという人がいる。だがその人もかならず誰かに陰ながら支えられているということを理解してほしいと思う。
まだあと四年くらい親の世話になると思う。けれど私が自立し、仕事に就き給料をもらえるようになったら、いつかかならず私の父母に恩返しがしたいと思う。また、私にもいつか子供ができるだろう。そのときは私が陰になって子供を支えたいと思う。
今思うと、あの色あせた家計簿には、親の思いが書かれていたのではないかと思う。もし、あのとき二万円の行方を知ることがなかったら、私はきっと変わることはできなかっただろう。そしてまた親の気持ちというのを知ることはなかっただろう。これから私は多くの困難にぶつかるだろう。そのときは親の気持ちと一緒に正面から困難を乗り越えていきたい。二十六日という日は私の誕生日であった。この日にちにも、親の思いというのが感じられる。これからは親と一緒に一歩前進していこうと思う。