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「JA共済」小・中学生
作文コンクール

2011年度 第47回 受賞作品

全共連福岡県本部長賞

赤い宝石

八女市  八女学院中学校1年牛島 映典

 「あきのり、畑からスイカば運んでくれんね。」僕はこの言葉を聞くと、サンダルをはいて、畑へと歩きだす。ある夏の暑い日の話だ。

 僕の祖父と祖母は、自分の家の畑でスイカを育てている。トマトやオクラなどが育っている畑の一角で、スイカは育つ。祖父がスイカを作り始めたのは、数年前のことだ。「みんなで食べられるけん、スイカば作ってみようと思う。」こう言って祖父はさっそくその年から畑でスイカを育て始めた。そして祖父は、祖母と一緒に毎日畑に行き、他の野菜といっしょにスイカの世話をしていた。その年の七月の終わり、初めて収穫したスイカを、祖父は包丁で割った。きれいにぱかっと二つに割れ、燃えるような赤が目に飛び込んできた。僕たち家族みんなは、縁側に腰かけてスイカをシャクシャクと食べた。よく熟れたスイカは、まるで赤い宝石のように思えた。夕焼けに染まって、みんなの顔まで赤い笑顔になっていた。しかし祖父は、「来年は、もっと中身がぱんぱんの、みんなの頭よりふとかスイカば作っちゃる。」と言ってその年のスイカに決して満足してはいなかった。

 次の年も、祖父は毎日畑へ行った。前の年、カラスがスイカをつついて、かなりの数がだめになっていたので、祖父は、防鳥ネットを張った。それでも心配なのか、僕にこう言ってきた。「あきのり、鳥ばよけるとによか知恵はなかね。」僕はこう言った。「それなら、光る物ば置いとくとよかっちゃなかろうか。」祖父はさっそく畑に、使い古しのCDをつりさげた。その年の六月ごろ、台風がきて、祖父をはじめ、みんなが心配した。みんなの想いは同じだった。「畑のスイカは、大丈夫だろうか……。」台風が通り過ぎると、祖父はいちばんに畑へ行き、乱れた防鳥ネットを直してきた。そして、ほっとした顔で、「スイカは大丈夫じゃった。」とみんなに言った。

 そして、夏がきた。収穫は八月になってからだった。前の年よりもひとまわりもふたまわりも大きいスイカを、落とさないように僕は用心して運んできた。僕は、「このスイカはじいちゃんの想いがつまった宝石だな。」と思った。いよいよスイカに包丁が入った。しかし、今回はなかなか割れなかった。やっとのことで祖母がスイカを割ると、どてんという音をたて、スイカはまな板の上に転がった。前の年よりも大きくて甘いスイカを口に入れると、すごく幸せな気分になれた。じいちゃんの想いがつくりだす、赤い魔法。

 その次の年も、そのまた次の年も、毎日、祖父は畑へ行き続け、スイカの世話を続けた。夏になると、庭に大きなたらいを出し、冷たい水を入れて、スイカを入れる。すると、夕方には冷えたスイカが食べられる。夕焼けを眺めながら家族みんなでスイカを食べるのは、我が家の恒例行事になった。

 しかし、今年の春、祖父は病気をして、入院することになった。そのため、スイカを育てることができなかった。

 その間、畑は祖母が世話をしていたが、スイカがない畑は、僕には少しさびしげに見えた。祖父とスイカがない夏だった。

 秋になり、祖父が家に帰ってきた。そして、畑に帰ってきた。しかし、スイカの時期はすでに過ぎていた。

 この冬、僕は父と一緒に、畑に霜がおりないようにビニールシートを敷く手伝いをした。その時、祖父はこう言った。「もう元気になったけん、大丈夫ばい。次の春からは、スイカば作るけん、そんときはあきのりも手伝ってくれ。」

 僕はほっとした。祖父が元気になってぶじに畑に出られるようになったことと、来年はまた夏に収穫ができることを知って。

 僕は、今年の夏を待ちわびるだろう。おじいちゃんが作りだす、赤い魔法がかかったスイカ、赤い宝石。

 夕焼けに染まったみんなの笑顔とスイカ、二つの赤い宝石がまた見られる夏がくる。

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